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第十八回文学フリマ(2014.05.05)に参加します。~紹介文の謎編~ [活動情報]

きたる2014年05月05日に開催される「第十八回文学フリマ」にサークル名「深森花苑の日常の隙間展」で参加します。

公式カタログに掲載した紹介文はこんな文章でした。

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もしもし、わたし、リカちゃん。最近電話くれないから、Facebookであなたを検索したの。毎日ランチの写真と得意先への「いいね!」ばっかり…。あなたの会社の社長、殺されたんでしょ。新聞で読んだ。わたし、いま、あなたのうしろにいるの。今までのこと、わたしに全部話してよ。
※詳細は会場またはブログで。

~~~~~

ふむふむ、「Inside Out Essential -warm colors-」では匿名「森永グリコ」という女の子が登場する小説を寄稿していたけど、今回はリカちゃんが主人公なのね?
――実はそうではありません。

上の紹介文は、どんな雰囲気の作品を普段書いているのか、ということを説明するために書いたプチ小説です。
そんなわけで、これ以上続きはありません・・・。紛らわしくてすみません。

でも、上の文章が面白いと思ってこのページにたどりついた方なら、きっと当日会場に用意する作品も楽しんで頂けると思います。





私が得意とするのは、日常からほんの少しずれた世界を舞台にした幻想文学。
目標としているのは内田百閒、ロン・カリー・ジュニア、エイミー・ベンダーといった小説家の方々です。

でも「日常」ってなんでしょう?
私はその意味が震災をきっかけに崩れてしまったように感じました。
いろんなことが日々目まぐるしく変わっています。退屈する暇もありません。
しかし、そんなニュースの誌面とは打って変わって自分はどうかというと、毎日ごはん食べて、会社行って…と、案外それまでと同じ生活を送っています。仕事が震災と絡んでこない職種の場合、こうなってしまうと思います。また、募金とか復興を応援する形で関わる、といってもそれは生活のメインにはなりえません。

だからといって、ニュースを見て、何も感じていないわけはないのです。
今までは良くも悪くも他人事だったニュースの中の出来事がどれもこれも自分と繋がっていることのように思える、でもだからといって自分が何かそのために直接できることがあるわけではない。
そういう、関わらないことも関わることもできない、バランスの悪い状態に日々さらされるのがいまの「日常」なんじゃないでしょうか。

震災以後、鳴りを潜めたと私が思っているジャンルがあります。怪談・都市伝説物です。
ゾンビとか吸血鬼とか、現実にはそりゃないでしょ、っていうのならいいんです。
あるかもしれないし、ないかもしれない。そういう現実との境目が曖昧なものが、まるで霧が晴れていくように消えてった。
たぶん、現実のほうが荒波に揉まれる船のようにぐらぐら動きっぱなしだから「あるかもしれないし、ないかもしれない」ラインを定められないのだと思います。今やっても、ただの性質の悪いデマになってしまう。

それでは、「日常」を舞台にしたフィクションはもう必要とされていないのでしょうか。
外的な環境を舞台にするのでは、以前と同じ輝きを放つのは難しいかもしれません。(少なくとも、私が書くのは)
でも、もっと内的な部分に目を向ければ――結局のところ変わることのできなかった「自分自身」のなかにはまだ「日常」があるように思うのです。
「深森花苑の日常の隙間展」では、そういった意味での「日常」を軸足にして、一歩隙間の領域へと踏み出してしまったものたちをモチーフにした小説を販売します。

…って、言葉で説明すると、全然面白くなさそうだなー。そもそも字数足りないし。
それでできたのが、あの紹介文だったのでした。説明おしまい。





今回はこの辺で。
具体的な出品作の情報はまた追ってお知らせいたします。


タグ:文学フリマ
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